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Curiosity killed the cat, but I love being curious. 軽妙洒脱にいきたいだけ

整わないものへの拒否反応に、

ここ数日、なかなか落ち着かないなと思ってはいたものの、ざわつく原因が自らの心臓の音と胸の痛みという物理的な原因に驚きが隠せない。タイピングを打つ今もなお、ドックンドックンと鳴り響く。

ただ軽妙洒脱にいきたいだけだというのに、ここのところ、結構相当のストレスがかかっているようだった。

ストレス、というのは、すごく主観的な言葉だと思う。Aがストレスだと思うことを、Bがそう思うとは限らない。そしてわたしにとってのそれは、ペースを乱されること、生理的に受けつけられないものに接すること、に尽きる。生理的に受け付けられない、というのもまた客観的とは正反対に位置し、そしてわたしにとってのそれは、整っていないこと、それに尽きる。つまり、ペースを乱されること、そして整っていないものが多いから、わたしの心臓は鳴り響き、物理的に痛みという呼応反応をしていることになる。

言葉が乱暴、雑に言葉が紡がれていること

テキストや言葉の単語のやりとりがどれだけ受け手の心をざわつかせるかを知らないのかと、不思議に思う。ましてや仕事であれば、情緒的な描写がでてくることは極めて稀であり、通常のやりとりなんかは理路整然と主語と述語とそのあいだをまた言葉で埋めればすむはずのことだ。それを20年、ましてや30年過ごしてできていないことに、それまでの時間を思わずにはいられない。反面教師といえど、感情を裂かずにすむことに対し感情を割くことほど無駄であり、それに努めようとしない人との仕事はヘルプレス、しないに越したことはないだろう。

博識(蘊蓄)の話ができないこと

あるのが当たり前で、姿を消すとその大切さに気づく存在。蘊蓄は、わたしにとってはまさにそれ。深み、という単語を使うほどの次元に達せずにはいるけれど、日々積み重ねて引き出しから引っ張り出すときなんかは、小さい頃に宝物をこっそり見せてあげたような気持ちになる。それができずに表面的な話題やマウンティングに勤しむのは、いかにも現世的で厭世的な行為に過ぎない。それができない人との会話は、5分が5分じゃない時間で過ぎ去らない。

思った以上に、とある準備に時間と気持ちを割けずにいること

小さなストレスに影響されて、非実利的で緊急度のひくい物事の進捗が悪いのも月並みな話である。あと1ヶ月先、あと6ヶ月あるよと思っていても、それはそれはきっと2ヶ月くらいでやってくる。井の中の蛙は、大海を知らなきゃいけないよ。

サロンで整えたはずのアイブロウが早速整い始めてくれないこと

これは仕方ない、時間経過の問題だから。でも、毎回ちょっとだけ哀しくなる。おかげでアイブロウサロン、という貴重な空間が恋しくなるわけだが。

ふと、前の部長から「どうしていつもそんなに気を張ってるの?」と聞かれたことがあったなと思ったけれど、整っていないものへの潜在意識での拒否反応ゆえだと思う。整っていない、には、汚れている、とも、枯れている、とも違った、終わりのないような救いようのないような気持ちになる。

さて、心臓が鳴っている話に戻る。
ノーベル賞生物学者のエリザベス・ブラックバーン博士たちによる「テロメア」研究の話をしたい。「テロメア」は染色体の端にあるもので、36兆だか37兆だかの細胞たちが絶えず細胞分裂を繰り返すたびに、短くなるそうだ。つまり年齢を重ねるごとに、それとともに縮むと考えられていたというわけだ。
10代をピークに人生幸福度が右肩下がりの日本にいる多くの大人たちなんか多くが例に漏れず、着実に長さを削っているのだろう。命削らず細胞削る、というわけだ。しかしながら、近年の研究で、テロメアを伸ばし細胞から若返る方法があるという研究結果が前述のブラックバーン博士らによって発見されたのだ。因みに、それは瞑想。目を閉じて、呼吸を整えて、っていうあの瞑想。ほらね、また仕事の話に繋がってしまうでしょう。ふふ

話すときにすべてを話きれるとは限らないわたしにとって、書くことはその燃えカスを集める作業。書くことですべては整ったし、整えてきた。いまも例に漏れず、書いていたら少しだけ、心臓が静かになるから不思議なものだ。ありがとう、わたしゃ書きます。

 


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