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The days were beautiful. | 最期に世界をとことん肯定した60の写真たち #蜷川実花 #うつくしい日々 #原美術館

ほんのついこのあいだ、その訃報に世界が途方にくれた気がする。“世界のニナガワ” こと蜷川幸雄さんが亡くなってから、1年経ったらしい。命日と同じ月日、2017年5月12日、奇しくも原美術館にて蜷川実花写真展『蜷川実花 うつくしい日々』のレセプションが重なった。たった10日間しか開催されないこの写真展は、蜷川幸雄さんとの最後(最期)の日々に撮影された60点が並ぶ。

曲がりくねった回廊を抜け館内に入れば、そこはひたすらにうつくしい時間が流れていて、光と生命で満たされている。その作品たちを見てあらためて、わたしたちは彼が居なくなった現実に気づかされるんだと思った。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

そういえば最初で最後、一度だけ蜷川幸雄さんにお会いしたことがあった

2012年のうだるような夏の終わり、OUDSの日本ツアー公演 [Much ado about nothing(邦題:から騒ぎ)] の制作補助をしていたときのこと。

※ OUDS(Oxford University Dramatic Society)は1885年創設の演劇協会であり、卒業生にはマギー・スミスやヒュー・グラントらハリウッドスターも名を連ねている。Wikipedia

今思えば稽古でたっぷり絞られていたのだろう、俳優の勝地涼さんとコンビニですれ違った衝撃に慄きながらツアー最初の会場・彩の国さいたま芸術劇場小ホールに赴いた。シェイクスピアつながりということで蜷川幸雄さんが芸術監督を務める前述の芸劇は、毎年OUDSに会場提供をしていたのだ。ステージを見下ろす形で210度ぐるりと客席が囲む不思議な眺め。その小屋入り1日目、ドレスリハだったか場当たりで客席のいちばん上からディレクターの指示が飛ぶなか、黒に身を包んだ小柄な老人がはいってきたと思ったら、それが蜷川さんご本人だった。灰皿を投げる印象しかなかった当時のわたしは思わず息を飲んだが、我々に挨拶するその男性は、眼光鋭いながら穏やかにセルマ・ホルト氏との再会にニコリとしていた。

当時大ホール(上記写真の舞台)では、蜷川幸雄演出の舞台『トロイラスとクレシダ(主演:山本裕典さん)』の稽古真っ只中だった。特別にOUDSメンバーの付き添いで見学させてもらった殺陣稽古は、舞台いっぱいに咲き誇る向日葵のあいだを役者が駆け抜ける。客席中腹からわたしたちの頭を通って指示が飛ぶ蜷川さんの声を聞けば、コンビニで出会った人が疲れ果てていたのも頷けた。あとで調べたことだけど、古代トロイの戦場に向日葵は咲いているはずのない植物だった。俳優の背丈もある長身の向日葵たちを敷き詰めたのは「あこがれ」「熱愛」といった意味合いだったのかもしれない、と今更想う。

舞台制作経験がまるでないに等しい当時のわたしにとって、客席と壇上のあいだには、見えないガラス板1枚隔てて別の世界が確立されてるようなものだった。汗もツバも飛ぶし息遣いも聞こえるけれど、壇上は決して踏み入れることのできない聖域で、とにかく未開拓の幻想的な世界が広がっていた。ほんの数分の見学で判ったのは、そのガラス板を容赦なく粉々にできるディレクターは何者にも形容しがたい絶対的な存在だということだった。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

そんな記憶だから、今回の写真たちが「逝く者の視点」で切り取られていると蜷川美花さん自身が指摘して、真っ先にステージからの視点を捉えてしまった。あそこはきっと、舞台人にとっては現実であり非現実であって日常であって非日常であって、文字通り「すべて」だろうから。煌々と照らされたライティングは軽く目がくらみそうなくらい強烈で、この人はここで何回も人生を生きたんだろうなって。ほら、舞台は人生だっていうから。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

そういえば桜も違った桜だった

今回展示されている写真の幾つかは、桜が収められている。2015年、初めて原美術館で開催された個展『蜷川実花:Self-image』での「PLANT A TREE」も、被写体は桜だ。離婚決定後、フィルムを持ち出して朦朧とした意識の中で切り取ったという目黒川の川面に映るどこか悲壮感漂うにじんだ散り桜。それとは全く違う。そもそも満開で咲き誇ってた。ミザリーや憐れみみたいなものは写真たちから一切みえなくて。それどころか溢れかえる光は、希望にすら捉えてしまいそうなくらいだったんだから。

生命のグラディエーションを描くのが早いから、花は好き。いつまでも咲き誇っていないから、終わりがあることを日常的に教えてくれる。咲いたあとは朽ちてなくなる(亡くなる)という自然の摂理。

目の前の何かが着実に朽ちていくことに反比例するかのように、周りは相対的に煌めいて、よく視えるようになってしまうのかなあ。特に桜の写真たちは、同じ世界と、まるで違う世界が重なりだすようで、似ていないようで紛れもなく実在する世界が広がっていた。櫻を見てそう思ってしまうのは、梶井基次郎のせいだったりする気もする。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

父が倒れたのは2014年の暮れ。
本当はそこで死んでいたはずだった。
2016年、年が開けると父の具合は少しずつ悪くなっていった。
一方で、木々は芽吹き、光は眩しくなり、驚くほど美しい日が続いていた。
父が倒れてから二度目の春が訪れた。
2016年5月12日。午後から撮影の仕事が入っていた。
父は今日、亡くなるんだろうなとわかっていた。
朝起きたら信じられないくらい空青くて、あまりに綺麗で、
どうせ逝くならこんな日がいいよね、って思った。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

レセプション会場にて食したジェラートはミラノの老舗ジェラート専門店GELATERIA MARGHARA、お酒は与謝娘酒造さん

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

毎日が忙しないとそれが愉しくても苦しくても人生はまるで終わりがないような気はするし、それはそれで必要な感覚だと思う。それでも、実際ここのところ悩みごとも尽きなくて、久しぶりに濃い靄のなかを迷走しているような心持だった。その反動で、まるで誰かに見守られているように天候も保たれ5月らしい気温のなかでのレセプションは、終始穏やかすぎるくらいに穏やかに行われた。白とペールピンクに身を包んだ実花さんこそ「うつくしかった」のは多数決を採るまでもない。

壁も写真もテキストも、コントラストの薄い、幼い頃見ていた光の溢れる世界の景色がそのまま切り取られている。変な話だけど、むかしよく見た光景だった。視線が低くて、地面が近くて、それでいて誰もが優しい顔を向けてくれるような。人生の最初と最期、生命のグラディエーションの濃淡は、どちらが濃いかはわからない。

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

余談だけれど、高校時代に現代国語の先生がことあるごとに黒板に書いていた “Man is mortal.” という言葉を思い出す。具体的にどのタイトルでその文句を取り上げていたのかいまとなってはすっかり朧げだが、文脈も脈絡もすっ飛ばすほどにこの言葉はわたしの根底に染み込んでいる。無意識下でその言葉に惹かれていたんだと思う。写真論を勉強していたときいつも惹かれていたのは、死と隣り合わせで結局そちらに吸い寄せられてしまった写真家たちの残酷でうつくしい画だった。

ずっと美しいものに惹かれているようで、心が駆り立てられ抉られることをどこかでずうっと求めている気がする。だって、抉られて、ぜんぜん綺麗じゃないものをいれて初めて、わたしたちはそれをうつくしいと気づくのでしょう?なんでもかんでも二律背反じゃないですか。「もうすぐ消えてなくなるかと思やあ、些細なことが急に輝いてみえてきてしまう」って。(そしてやっぱり櫻を切り取ってた当時の自分)

蜷川実花 うつくしい日々 原美術館

蜷川実花さんと、恐らくは蜷川幸雄さんの人生に於ける “凪” の期間を垣間見るような写真たちは、柔らかくて、掴めそうで、でもはじめからとっくに掴めないことを知ってるような世界といいたい。海風から陸風へ切り替わるとき、あるいは、陸風から海風へ切り替わるときの、無風状態。「風がなけりゃ、ねえ船長」って、夜霧の波止場で船を降りるんなら “世界のニナガワ” はどこで船を降りる(た)だろう。


◆ 展覧会情報

展覧会名「蜷川実花 うつくしい日々」
開催期間:5月10日-5月19日
主催・会場:原美術館
公式ハッシュタグ: #蜷川実花 #うつくしい日々 #原美術館 #MikaNinagawa #HaraMuseum
Hara Museum Web

写真集『うつくしい日々』も発売中。サイン本が原美にはまだ残っているとか残っていないとか(買えば良かったな)。

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